本土に住む父が言い方悪いがもう廃人的な形で発見され、介護も必要。
自分から兄弟にヘルプを出したと聞いた。
それから私は東京と屋久島を行ったり来たり。なんと別れた母が再婚してるにも関わらず大サポートしてくれています、、
理解ある方と再婚してくれて本当によかった、、
父は糖尿病と末期の肝硬変で肺から骨盤まで腹水。食道静脈瘤という爆弾を持ち、
体は痩せ細り、自力で満足に歩けず。
転倒しながら買い物をする。
アルコール性の認知症もありそう。
滞納、督促状の嵐。
失禁なんてまだかわいいものです。
ここに書けないような手続きをいくつかしました…
なんて暴れん坊だろう…
当初屋久島で私が看るという話を電話でして、こちらも支度を進めていて、
父の方は叔父が主体となってその準備を進めていましたが、、、
会って話をしてはじめて、想像してたのより悪い状態でしたが、
今ここで親孝行の意味を私は大きく間違えるところだった!と思い、屋久島行きはリセットしてもらいました。
父は大声出して怒り、父方の家族はがっかりしたでしょうが、リセットには理由が…。
食事は薄いおかゆだけが良い。
アルコールは1リットル以上飲む。
インスリンは打たない。気分で打つ。
血糖も測りたくない。薬も飲まない。
そして、食事と薬について口を出すな。
束縛するなと。
血糖450以上だったかな、そのときはさすがに意識が混濁してましたから、こちらで無理やり対応しました…
また私と叔母数人には当たりがひどく、
しかし屋久島に来たら健康状態により私は関わらずにはいられないため、
じゃあ何のためにその身体で私を頼って屋久島に来るのでしょうと、いうことで。
屋久島は医療も脆弱ですし、天候によってはヘリ搬送できず命さえ危険です。
私達も一度屋久島に帰り、1日2回は父に対応していたみんなの身体も生活もあるため、父に入院してもらいました。
11月で2回目の入院。
命の危険がある日もあったし、満足に歩けないし介護認定が出るだろうと依頼。
入院中に様々な認定をソーシャルワーカーさん達が行ってくれましたが、、、
病院では非常に頭も身体も元気だったそうで、しかも歩きまくり!?
介護認定が何も付かず、、
アルコールを抜き、食事をちゃんと食べ、
インスリンや薬を漏らすことなく管理すれば、以前とそんなに変わらない父になれるんだ!
しかし私達のあの東京を走り回った日々は何だったの状態(笑)
自立して生きるパワーがまだ父にはある。
当初は甘えさせるつもりでした。
私も夫もそのつもりで。
経済的なものも心配せず、余生を屋久島で好きなように楽しんでもらおうと。
看取りのつもりで。
でもどうやら父の願いは生きたいという意思がありまた身体の回復も見込みあり。
甘えさせることで悪化させることがわかり、食事や薬を管理されるのが嫌なら自分でやるしかないですね。
今の父ならできる。
父の退院に向け、明日からまた東京に行ってきます!!