わたしのせかい

わたしのメモ的感覚日記

ゆるすこころ

今、ネットニュース読んでいたら、左肩がぐーーーーーっと重くなった。

自分のなかのものと反応してるのには間違いないけど、女性の存在も感じるのでお話してみた

『依存してる心だとずーっと誰かにくっついていくことになるんだよ。もっと個人主義になろう。人間よりももっと柔軟な世界にいといてそれができないはずがないよ。できるよぜったい。自分のこと信じるんだよ。
絶対できる!がんばっていこう!わたしもがんばる!』

と心のなかでいうとすーーっとなんでもなかったように軽くなった

わかってくれたんだとおもう。


今ある学校のことを思い出しましたが、同じことと思います。
いじめをする子の心理は無理に変えられない。撲滅しよう、追い出そう、変えよう変えようとするからエネルギーが思わぬ方へ加速していってしまう。
わたしもいじめられた経験がある。長男も今、いじめられることも。
でも子供同士のことに関わり過ぎもよくない。まさともそこから学ぶことがたくさんあるはず。
まさとは友達のことですぐ泣くしすぐ怒るしボーダーラインを高めるための協力者だとも思う。
ボーダーライン低めだからなんでも許せなくなっちゃうんじゃないかな。

長男には自分の世界を変えることを教えてる。その子たちを許す方法を教えてる。
結構自分の世界が変えられてきてるみたいで2年生のときより学校にいくのが楽しくなってるみたい!

許してあげる気持ちをもっと増やそう!ってシグナルがなっているんだとおもう
許しのエネルギーはとてもパワフル。子供達はすぐにそれを利用することができる。
あれだめこれだめと教えることもときには大事かもしれない。でも、許すっていうことがこんなに自分に気持ちいいことや周りに大きな変化のパワーを与えられるということを今の子供達に教えていくのっていいとおもう
許せる子を増やすのが無理な力なくいじめをなくす方法のひとつとおもう。また保護者も同じく。

私達がいじめと認識しているということは心のなかで人から被害を受けるという意識があるということかもしれないと捉える

それに対し、ニュートラルな目線でみえるようになったときはじめて『いじめ』という認識は心のなかから消え
世界も同じくいじめというものがなくなっていくだろうと思ってる

とにかく『やられた』意識をなくしていくまではずっとあらゆる闘争は存在するのだとおもう
自分の世界は自分が創ったのだと責任を持つことがまずの一歩のように感じる


そういう点で違う世界の人も浄霊でえいやーと追い払うのではなくてお話してあげるといいわけです☆
けっこうそれました、、、ww