いもうととわたしはよくスカイプをします☆
昨日、話してたのは、『創造(意識)には、はじまりもないし終わりもない』
というはなし
文字通り。
終わりがないっていうのはわりと簡単にイメージできるけど、はじまりがないってイメージしにくいけど、感じてみる
ただある
ただ感じると簡単なものだね(^m^)
そして、全てが無限であることにも思いをはせます
この地球には本当は地球全体の人を養うものがあります
無限に続くストーリーのなかで、あるものだけ『有限』ってことはないと感じています
しかし、『有限である』というアイディアも大いなる全て(創造、意識)によって許容されています
無限であると感じて体験するのも、有限であると感じて体験するのも、
すべて許容されています
無限の可能性のなかで☆
そしてわたしたちが住んでる世界は本当は『ない』というはなしもしていました
宇宙もない!
『ない』世界をリアルに経験できるくらいの力をわたしたちひとりひとりが持っています
観念というフィルターを通すことにより、いろいろなものを体験することができます
観念は魔法のエッセンスのようなものだと私は捉えています
よく夫とわたしの会話でそれを体験します
夫は、物探しが得意ではないといっています
それは、彼のひとつの観念だと思っています
それによって、『そこにあるよ』と私が言っても
彼には何も見えないのです(笑)ほんとうに!!
物質も本人が『ない』と思えば彼の世界には本当に『ない』のです
わたしは目の前にあるのを知ってるけど、笑いをこらえて『よく探してごらん』と言います
そうすると、『在るもの』を探そうとします
すると、彼は『在るもの』を見つけ出すことができるようになります
これはごくごく普通の家庭のワンシーンですが、目を凝らせば、こんなことになっています(笑)
とてもおもしろくて、私の世界には存在するものが、彼の世界には存在しない。
物質もホログラフィックに存在しています。
地球人として生まれたからこういうおもしろさを体で体験すことができるのだなぁと、うれしくなります
ひとりひとりホログラフィックな存在です
誰かには善人にみえるかも。また誰かには悪人にみえるかも。
しかし、それは、ひとりひとりの観念を通してみた結果です
わたしたちは、常に中立な存在です 全てがニュートラルな存在です
いもうととの会話で、全てが中立だとおもったとき、わたしたちはもっと自分のワクワク好きなことだけを選択していく人生になるねと話していました
ふふふ。考えるとわくわくしませんか☆☆☆