わたしのせかい

わたしのメモ的感覚日記

祖母の旅立ちと私達

 

5月28日は祖父の誕生日でみんな想いを馳せていましたが、当時在宅だった祖母の変化も同時に祖父からのサインで祖母の容態の変化があることがそれぞれ感じられ、私や家族それぞれ感じていた後日談。

 

 

5月29日には母と妹のアンテナは確実な変化を感じ、その夜は祖母と一緒に寝たそうです。

そしてその日の夜に救急車でガンの痛みが強く搬送されました。

 

 

6月1日、母より私に連絡が来ました。

容態は悪いものの、いつ島から出れば良いかなぁと考えてましたら、あの世の祖父から『6月6日』というサインをもらいきっと亡くなる日だとおもい、3日に出ることをきめ、

夫に手配してもらい、東京に向かいました。

 

 

家族には祖父からの6月6日のサインの話をしました。

数日間病院へ通い祖母と交流し、6日の夜が過ぎ、6日のサインは何だったんだろう?と、時計の針が0時を過ぎ7日になり、眠りにつきました。

 

 

目覚めたのは朝方。

泊まり込んでいた母からの着信で。

祖母がいよいよだと、すぐに家族で病院に向かいました。

出掛ける支度しながら、祖母を感じるとすでに祖母は体から抜けていたように感じていました。

 

 

着いてから呼び掛け、感謝の言葉をみんなで伝えました。

祖母はまだ応じるように少し意識がありそうでしたが、だんだんと呼吸の間が空き、そしてみんなに囲まれ息をひきとりました

やっと祖母の望んだ体から離れるということが叶った瞬間でした。

 

呼吸が止まった時間は朝6時30分でした。

 

 

私はハッとしました。

祖父の6日の意味がそこでわかりました。

 

私が6日までに屋久島から東京に到着していなければ、この場所にいられなかった。

6日までに到着していなさいね、という意味だったんだと。

 

 

軽やかな祖母の声が大きく響く感じで、

一人一人に先生や看護師さんにもお礼を響かせていました

 

エンジェルケアのメイクは、60後半まだまだ現役化粧販売員の叔母が担当。

さすがの感動の腕前。

 

 

小さな霊安室に祖母の遺体共にみんなで行き、

病院専属の葬儀屋さんが簡易の祈りの場をつくってくれているところ、祖母は自分の肉体を静かに見つめていました

 

一人一人祖母の肉体に向かい手を合わせましたが、

私達の左横にいるのにおかしい気持ちでしたが、祖母の肉体に感謝をし手を合わせました。

狭い部屋でしたので祖母の霊体の位置と重ならなければならず、

位置を移動してきた家族に

『そこにおばあちゃんいるよ』と教え、

じーんと重なりながらみんな位置をずれましたが、

 

妹は、教えなくともエネルギーを感じると電気が走る方で、重なったと同時に感電したように痙攣を起こして、

みんなに『ちょっと~(笑)』と笑われていました

 

なんだか変な家族ですね(笑)

 

お葬式でも笑ったり泣いたりコロコロ変わる様子が端からみたら不思議だったんじゃないかな

 

肉体が炉の中に行くときに、悲しくて涙を流してたけど、おばあちゃんが私達の近くにいて自分の肉体が炉に入るのを見ているのに気付き、『おばあちゃんあの中にいないね』とみんなで『ほんと』と悲しさが消えて行き。

私達家族のスピリチュアルな観念は全て祖母譲り。

 

私達に死後の世界について教えてくれていた祖母が旅立ち、なんだか不思議なのです

 

母が、祖母が亡くなってからつぶやきました、

『おばあちゃん、山の向こうに行けたかな』と。

生前若いときから祖母のよく見る夢が山の中で、なかなか山の向こうに行けなかったのだそうで。

 

きっと今はずっと会いたかった祖父にも会えて、山の向こうで会いたかった人達に会ったのだろうと✨

 

そしてまたいつの日か、私も祖父母に会うことを今から楽しみにしているのです☺️