わたしのせかい

わたしのメモ的感覚日記

日常に紛れる預言者たちの人生とその言葉

 

最近、心に響いてそしてそのエピソードに涙を流したワード。

 

『自分に都合はありません。』

 

『愛より理解を。』

 

どちらもNHKなのですけれどね

昔からNHKの回し者のように・・笑

小さい頃から大好きなのです。NHK。

 

特に、こころの時代~宗教・人生~。

 

昨日はとても大好きな、ウィルス研究者の山内一也さんのお話と、

カトリック長崎大司教区の司祭・古巣馨さんのおはなしの二本立て。

 

ウィルス研究者山内先生は、ウィルスにも優しい目線を持っていて、

素晴らしい心地よさ・・(;0;)

 

 

そして司祭・古巣さんのお話は号泣でした・・

 

小さなひとみちゃんとミネヤンという水がめを運ぶ預言者。

 

お二人の人生を古巣さんのお話で知り、生き方をもう一度見直してみよう、

また、ひとみちゃんやミネヤンのように、そのように生きようと。

 

リンクを。ぜひです。

 

長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて (sakura.ne.jp)

 

ネグレクト家庭でさびしく小さな命を終えたひとみちゃんの大きな許しのこころ。

 

そしてミネヤンは精神病棟で33年暮らし、自分の都合ではなく神様の都合で生きようと、平和の使者として63年を生き切った方。

 

娼婦の母に結婚してくれるという男性が現れ、しかしそれは嘘で妊娠したら逃げてしまった。そのときに宿っていた子がミネヤンだそうです。

2歳の時、母親は死に、親戚の都合でたらいまわしに、そして親戚の都合で児童施設で暮らし、自分の力で働き資格もとった。しかし精神疾患のため精神病棟に長年入り、病院長のその日の都合や機嫌で面会の人は制限される。

自分の都合で生きられなかった。

 

ミネヤンは聖書の難しいものなどいろいろなことはわからないけれど、

せっかく洗礼を受けて教会の仲間になったから、自分が死んだときにこの人は神様の子供だったと言ってもらいたい、それを思いながら聖書をパッと開いたとき、

『平和のために働く人は幸い。その人は神の子と呼ばれる』という言葉だった。

ミネヤンはこれこれ!と思った。だから平和のために働きたいと。

でも精神病棟から外にも出れずどうやって平和のために働くのか古巣さんはミネヤンにきいたことがあり、原爆の日にプラカードを持ってデモに参加するのかい、とか、

 

ミネヤンも『そうですよね。ここで何ができるんでしょうね。』と、そのときはいたずらに笑い話で終わったそうですが

 

ミネヤンが肝臓がんにより亡くなったあと、

司祭館に連れて帰って2日間安置した時、ミネヤンの病棟の掃除婦さん2人がとても泣いてミネヤンの死を悲しんでいました。

 

『ミネヤンがいなくなって寂しくなりました。彼のいるところは平和でした。

患者同士が争うとミネヤンをベッドごと彼たちの間に入れて、ミネヤンは自分の都合を言わない人でしたから、そうするとそこに静けさが戻るんです。この人のいるところは平和だったんですよ』と。

 

そして、司祭館でおばさんたちは

『ミネヤンはここのひとだったんですか?今わかりました。この人は神様のこどもだったんですね』

 

!!!

 

よかったほんとうによかった!わたしもうれしい・・・

もう素晴らしすぎて、ミネヤンの願いが叶ったことに、感動しました。

 

ミネヤンの言葉で

『自分の都合で生きている間は私の心は穏やかではありませんでした。苦しかったとです。自己実現とか自分の生きがいとかそういうことを言ってる間は心が不安でした。

でもこのごろ、やっと神様の都合のことを思うようになりました。

そうしたらとってもいま生きやすくなりました。

だから神父さん、神父さんの都合のよかときでよかとです。わたしには都合がなかとです。』

 

人生のコマを動かせないとき、そう思うことできっと天の流れにのるという意思ができる。

そこには癒しがある。

 

コロナ禍で身動きがとれず、自殺者も増えているとききます。

 

でももし様々な現象がミネヤンのいうように神様の都合なのだとおもうことができれば、少し心が軽くなり、

そしてちゃんと神様の意思だったという証拠を体験できると思う

 

古巣さんは、これからも日常に紛れる預言者に出逢い続け、その預言者たちの言葉を伝えていこうとおもうと。

 

わたしも思います。

セッションをしていて、クライアントさんたちが聖書でいう預言者だと。

そう感じています。